むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ

こんにちは。

鶏口牛後(けいこうぎゅうご)、という言葉があります。むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ、ということです。もともとどういう意味かというと、小さな国の指導者になるのはよいが、大きな国の末端になるな、というような意味です。

個人の考えだとは思いますが、私は牛後でもいいと思います。寄らば大樹の陰ともいいますし、たとえば、大学進学などでもより良い大学に入り、よりレベルの高い仲間や友人を作るのはよいことではないかと思います。

私が高校の頃なりたかったのは、牛口ですがなかなか困難な道だとは思います。しかし、若いころにはそのような気概も必要ではないかと考えます。

例えば、このブログを読んでいる若い読者が将来、博士号を取得して大学教授になりたいとします。そのようなときにはやはり、よりよい大学や大学院を出ているほうが教授になるのに有利となります。一度はよい大学の中で下、すなわち牛後となってもよいのではないか、と思います。将来、だれか偉い人の話を読み、憧れて研究者になりたいという人はより良い大学に入るのが有利です。出身大学の教授になることは困難ですが、慣れればラッキー程度に考え、ほかの大学の教授になれば、大した出世です。

本当は、牛口牛後と言いたいですが私は牛後になることも場合によっては推奨します。お前ごときが偉そうなことを言うなという方もいらっしゃるかもしれません(現に偉そうな記事ばかり書いています)。老婆心かもしれませんが、若い人には後悔してほしくないのです。ですので、より上を目指して努力してください。

それではまた。