死ぬということ

こんばんは。お久しぶりです。

今日は重苦しいタイトルです。そう、死ぬことです。

私は生きています。これを読んでいる方も生きています。生きているからには死ぬわけですが、たまに生きるって何だろう、死ぬってなんだろう、と考えることがあります。

私は生まれ変わりというものを信じませんが、死んだらどうなるのか、と考えることがあります。日本で死ぬからには、恐らく火葬されるのですが、炭水化物は燃やすと二酸化炭素と水がたくさんできます。死んだときに生じた二酸化炭素は植物の光合成に利用され、植物の一部となるかもしれません。それを食べる草食動物の体の一部となるかもしれません。それを人が食べることもあるかもしれません。こういうことを考えていたら、死んでも何かの役に立つのかもなあ、と思います。

死んで、一部が動植物の一部になることもあるでしょうね。

だからと言って、死ぬのは怖くないかと言われれば答えは怖いです。

 

私の周りには、昨日はパチンコでいくら負けた、もう行かない、という人がいます。数日後にはまたパチンコに行っていくら勝った、とか言っているのですが。

また、昨日は酒を飲みすぎた、とか仕事の合間に煙草を吸う人もいます。

私はギャンブルも酒も煙草もやりません。死ぬときに後悔したくないからです。生きるためにはこれらは必要なさそうです。

いつか必ず訪れる死に向けて何か準備をしておきたい、とは思いますが、死ぬ前に後悔はしたくないと思います。ギャンブルや酒、煙草をやるとおそらく私は後悔します。それらが生活に必須である、という人はやればいいと思いますが。

必ず訪れる死を考えてみるのもいいかもしれません。